母が・・・
母、永眠
母が永眠した。67歳と364日。
直接的な死因は「急性心不全」と診断書には記載してあった。
1月に入院し2週間程度で退院、リハビリを自宅で実施していた。不調なので父が病院へ行こうとすすめるが、頑として動かなかったそうだ。
「そろそろいこか」と、やっと言ったのがa日でその夜、父が病院から帰るときは声こそ出ないものの、意識ははっきりしていたそうだ。
そして翌b日、朝病院へ行ってみると、すでに意識はない状態だった。
急ぎで、子どもに連絡をしてくれた。この時点では、父も意識は戻ると信じていたようだ。だから、子どもの顔を見せようと思ったらしい。3人兄弟で、2人は比較的近くに家庭を持って生活している。私は長男ではあるが、500キロ離れた東京で生活している。職場より、直行。弟に最寄り駅まで迎えに来てもらい、病院へ。
意識はないまま。呼吸器により強制呼吸(そうしないと長患いのリウマチによる骨変形で気管を詰まらせるおそれがある)で、血圧は測定できるかできないかというレベル。
しばらく、父、私、妹とご主人、弟と奥さん、孫3人で見守っていたが、良くも悪くもならない。
夜になり、小さな子がいることもあり一旦各々の自宅に帰ることになった。私も実家へ。
弁当を食べ、一息つこうかというところで、病院に残っていた父より電話。「急変した」とのこと。
病室に入ると、医師がちょうど心臓マッサージを終え、一旦心停止していた心臓が微弱ながら自力で動き出したところだった。
今度は、父、私、妹、弟の4人で見守ることになった。
数時間後、心停止。臨終。
母とはここ数年、あまりよい状態ではなかった。いがみ合うということはないが、少なくとも歩み寄ろうという部分においては、お互いできていなかった。
できれば意識が一瞬でも戻ってくれたら、と思わずにはおれないが、どうすることもできない。
死期を悟っていた
父と話をしていて、どうも母は死期を悟っていたように思える。
67歳のうちに死ぬと言うことを決めていたようなのだ。
実家には、声が出にくい母と父の筆談の記録(チラシの裏だが)がのこっている。
あと10日、なるべくそばをはなれんといて
とメモ書き。横に、日付があって、数日は斜線で消してあった。最後はc日。母の誕生日。
入院する2日ほど前には、父に、
「いろいろ世話になったなぁ。ありがとうな」
「こどもらに、よろしくな」
と言っていたそうだ。
ありがとう
意識のある状態で、伝えたかった。
「ありがとう」
何度言っても言い尽くせないが、母にひとこと伝えるとしたら「ありがとう」以外の言葉が思いつかない。
もうひとこと言えるとしたら「ごめん」。
南無阿弥陀仏
お寺さんが、「病気をしておられて、健康と思える我々でさえ一日一日を過ごすのがしんどいものだから、どんなにか我々にはわからないつらさであったのだろうと」ということを言われた。そして「娑婆での修行を終えられて一足先にお浄土へいかれた」とおっしゃった。
実家が浄土宗と言うことも、わかった(知っていたはずだが、今まであまり意識がなかった)。
今更ながら、仏教の本をいろいろ読みあさっている・・・